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TURNAROUNDができるまで (ⅰ)

ぼくのことを少し話してみる。

和歌山の少しだけ田舎なところで、二人兄弟の長男として育った。記憶しているのは、隣の畑にころがる黄スイカを見つからないように勝手にかじったり、稲刈りのときはおにぎりを食べるためだけに田んぼに手伝いに出たり、今とかわらずお腹を満たすことに必死であること。

その後、小学校の終わり頃に塾に通うようになるまで、間取りを描くのと、近所の山や川へ遊びに出ていたことだけは記憶にある。このあたり、今とはちがってちゃんと宿題を終えてから家を出るタチだった。
今でも覚えている。両親に行きたいとねだった住宅展示場で建て付けの悪いドアを見たとき、とてもとてももどかしい気持ちになったのを。



この頃、同級生に仲のよいお友達がいた。とてもとても上品な御一家で、“過去”に一家に仕えていたのではないかというくらい弟と一緒に頻繁にお家に遊びに行かせてもらった。そのお父さんが建築士だったこともあり、いつのまにか間取りを扱うには建築士というお仕事につく必要があると認識していたのだと思う。
スイミングは7年近く通った。だから泳ぐのが一番好きである。
父が5mm厚のウェットスーツを着て真冬も素潜りするくらいだったから、その影響なのだろうか、毎年のようにいく夏の家族旅行の海で採る“がんがら”にはどうも執着がある。
記憶に残っている写真も、ぼくのまるまる太った写真と、弟のなにかをつかんで笑っている写真。2枚ともなぜか海。だけども、だからといってしょっちゅう泳ぎにいきたいというわけでもない。

たしかこの何年かあと、渡辺篤史さんの建物探訪という番組で、屋根の家という住宅がとりあげられたことがある。屋根の上で生活することを前提に設計しているのだから、当時のぼくとしては頭がひっくりかえったような思いだった。屋根は屋根だと思っていたから。このとき、建築士から建築家へと認識が変わったのだと思う。言語化できたのは最近だけど。

ちなみに、ぼくの名前の篤史は、渡辺篤史さんの篤史。父が渡辺篤史さんのように誠実にという意味でつけてくれたらしい。とてもとても気に入っている。


つづきは、また後で記そうと思う。

07.04.2017